こんばんは、奈雲です。今連載しているつみねこ漫画『コトリバコ編』での裏話を少々。
今回のお話で雷牙と陽太の違いを描いてます。
同じ長男でも弟を亡くしている陽太はそれ故に「優しすぎる兄」で今も5人弟妹が居る雷牙は「優しさだけが愛情じゃない兄」です。
陽太だけならコトリバコに飲み込まれてたけど、雷牙が居たから乗り切れるという話です。
作者である奈雲個人の考えですが、呪いの力は同調すれば飲み込まれる、無理矢理跳ね除けるのはよっぽど霊力が強くてきっちり修行をした人しか無理だと思っております。
幽霊や怨念なども元を辿れば人間だった者たちの感情である。そして人間というものは大なり小なり負の感情を持って生きているため、呪いなどと言った負の感情に囚われやすいと思います。あと自分に置き換えて考えてみてください。
もし自分がものすごく苦しくて、辛くて、助けてほしい時に無条件に手を差し伸べてくれる優しい手があったとすれば縋りたくなりませんか?その方を辛く苦しい場所へと引きずり込んでしまったとしても、苦しんでいる今の状況から逃れるために、その手を掴んでしまう可能性の方が高いと思いませんか?
辛かったよね、しんどかったよね、と同調してあげることは簡単なんです。そこから抜け出すために一緒に乗り切るのは難しいんです。つまり、弟を亡くしていて優しくすること、気持ちを理解してあげる陽太のように優しすぎる人間には幽霊たちが縋りついて、居心地がいい人間を離すまいと一緒の場所へと引きずり込もうとします。
しかしそれを止めたのは雷牙でした。雷牙の場合は「陽太は連れて行かせない。でもお前たちにこれ以上悪いこと(陽太を殺させること)をさせたくもない。お前たちが次幸せに生まれ変われるよう一生懸命祈るから安心して眠ってくれ。」と伝えました。これは今も弟妹が居て、その子たちが幸せに生きてくれるようにするにはどうすればいいのか、どうやったら真の幸せを見つけてくれるかと考えた長男故の行動です。
苦しんでいる小さな子供が悪いことをしていたとしても叱ることが出来ない優しすぎる陽太だけだと、飲み込まれて陽太は死んでいます。雷牙は苦しいからって同じように他の人を苦しめてしまえばもっとその苦しさから逃れられなくなるということを教えること、これも優しさだと作者は思います。
つみねこと契約が出来た時点で多少なりとも霊力や魔力的なものはありますが、彼らは幼いころから修業をしているわけでもないのでほぼ一般人と何ら変わりません。それでも雷牙が陽太を助けられたのも、コトリバコの手に触れられたのも「陽太もコトリバコに使われた子供もどちらも救いたい」という強い気持ちがあったから、というコソコソっと話を残します。
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